2012/05/26 大阪府立大学 第51回友好祭で感じた21世紀ノスタルジア
行きは白鷺駅で下車したので(風景がどことなく変わっているようだったけど変化点ははっきり判らず)、帰りは中百舌鳥駅ルートを選択。というのは「中百舌鳥門」を見た瞬間に「ここも歩いた!」という記憶が蘇ったので。そうすることで在学時の通学路の風景も含めてできるだけ多くのことをタイムカプセルから引きずり出そうとして、実際いろいろ思い出せました。自分がどこから来た者であるかをある程度再確認することができました。でも…悲しいかな、そこには「人」がいない。「その場所で誰かと何かをした」という記憶が出てこない。教授(もう皆さん退任されているでしょうが)の名前すら思い出せない。なんと淋しい人生なのか。
在学時もっともよく利用していたであろう棟は老朽化のため取り壊すらしく封鎖されていました。また食堂は施錠されてました。それらの場所に立ち入ることができればもっとたくさんのことを思い出せたかもしれません。記憶に微かに残っている光景、でももう二度とそこに立つことはできない…その光景が何時何処で見た何だったのかを確認することもできない。写真も残ってない。そんな場所は母校に限らず何箇所もありますが、それがどれほと悲しいことか。
嗚呼、Berryz工房学園祭LIVEレポの〆がこんなんでいいのか(苦笑)。