ライアーゲームが主張する「みんなが幸せになる方法」って

このドラマって「嘘はよくない、嘘つきは泥棒の始まり」という訓話で終わっていれば単純にいい話だったねで済むけれども、「みんなが幸せになる方法は」とかいう話を持ち出されるととたんに難しいことになるな。「幸せとはなにか」の定義が個々によって違うからな。「ポン酢しょうゆ」があればただそれでいいというわけにはいかない。

ドラマ自体はそこまで言及していないけれども、勝ち組・負け組という格差を作る社会構造に対する批判もちょっとはある気がした。ライアーゲームの世界では、世界にあるすべての金銭の総額はあらかじめ決まってて、なおかつスタート時の所有金額は同額だから、他人から金銭を奪い取る以外に収入を増やす方法がない。だから誰かが儲ければ必ず誰かが損をする。だからナオの主張するように「誰もマネーを奪い合わなければ全員が幸せになれる」が成立する。でも現実世界ではスタートラインが平等じゃないし「誰も働かない社会は誰も幸せにしない」。原作者はそこまで言ってはいないのかもしれないけれど、ナオの思想は共産思想のいいところだけを抽出して悪いところを故意に隠蔽しているような気がなんとなくした。

しかも、ナオ自体はゲームを優位に勝ち進める力をまったくもっていないので、ライアーゲームの世界でナオの主張が通るのは、あくまでもゲームを独占的に支配できる人がナオに従って「施し」をした場合だけ。現実の資本主義社会の場合はほとんどの支配者が「ヨコヤ」サイドで、「ナオ」サイドの人はいない。だから負け組ができてしまうと。それなら資本主義社会で不幸な人が生まれてしまう理由の説明にはなる。でも「ナオ=いいひと」という単純化した等式の刷り込みをしたい意図はやっぱり理解できない。もちろん「汝の隣人を愛せよ」「赦しなさい」の部分においては賛同するけれど、騙されっぱなしというのはやっぱりただのおバカさんだと思う。ナオが幸せになる方法は「アキヤマと結婚」だな。俺には無理だ(苦笑)。

もしかしたら「アキヤマ=国王、ナオ=祭司」で、祭政一致していれば国民は幸せになれるけれど、そうでない場合には不幸な国民が生まれるよ、といいたいのかな。うーむ。

だんだん訳がわからなくなってきたからここらで遁走(苦笑)。